戦争と平和 CosmosVision WPV-2008-002-L
破れないカーテンも壊れない壁もこの世には無い・ベルリン封鎖 画面の選択
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 およそ60年前、アメリカ空軍は、約250万人の攻囲されたベルリン市民を救って、ソビエト連邦(以下ソ連と表記)の鉄のカーテンの縫い目を広げる計画に着手しました。
 空軍史で最大の人道主義任務では、「糧食作戦」(別名、ベルリン大空輸)で230万トン以上の食物、燃料、その他の必需品をドイツの首都市民に届けました。

 1948年6月から1949年9月までアメリカとイギリスの空軍が共同で行ったこの大規模な航空成果は、西側連合国とソ連の間にあった第二次世界大戦後の緊迫した対立から生じました。
 戦争の終結で、勝者は、旧ドイツ国土の東側をソ連が占領し、西側をアメリカ、イギリス、フランスの連合国が占領して4つに分割しました。
 また、ソ連の占領地内にあったベルリンもそれぞれの戦勝国が、4地域に分割して管理していました。

 古い映像を見る人は、たぶん、第二次世界大戦の大規模な破壊の後が、どのようだったか想像することが難しいかもしれません。
 当時の市民は、瓦礫の中で生活を見いだし復興の困難な仕事を開始しました。しかし、まさに、生活がゆっくり正常な様子に戻った時に、冷戦は既に前の同盟者の間で煮えたぎっていました。

 戦後の西側の通貨改革に腹を立てたソ連は、1948年6月24日に道路と鉄道と河川を封鎖して、ドイツ首都の西の部分に対する西側勢力の水陸の交通を妨げました。
 それは、250万人以上のベルリン市民と西側連合国の兵士数千人を飢えさせる作戦でした。
 多くの歴史家は、ヨーロッパでのロシア共産主義の影響範囲拡張で、西側連合国の弱点を利用する試みとして、ヨシフ(ジョセフ)・スターリン(ろすけ盗賊の虐殺首謀者)とソ連の略奪独裁権力亡者どもが、攻撃的な規制を課したことに合意しています。

 西側連合国の反応は、即時でしたが、原子兵器のその独占にもかかわらず、アメリカにはほとんど選択肢がありませんでした。
 ベルリンは、ソ連が支配するドイツ内部深くにあり、また、アメリカはヨーロッパでおよそ2つの地域を管理していました。

 ろすけ盗賊スターリンは、地上力で切り札を持っていました。
 一方で、外界から隔離され飢餓と重要な原料の欠乏に直面した西ベルリン市民からは、救援を求める訴えが発せられました。

 救援作戦の初期に、西ベルリンのエルンスト・ロイター市長は約300,000の群衆を前に、今日有名な「絶望の時代思潮」を捕らえた演説をしました。
 「この世界の人々は、この都市を見てそして、この都市とその人々を捨てるべきではなく、捨てることができないと知ってください!」
 ロイターは、戦前にドイツ議会が使っていた焼け落ちた帝国議事堂で不安定な背景を嘆願しました。
 観衆は、彼の嘆願を聞き、西側連合国も聞きました。


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